▼書籍のご案内-序文

臨床力を磨く 傷寒論の読み方50

はじめに

 今からおよそ1800年前の後漢の末に,張仲景によって著されたとされる傷寒論は,古今東西を通じて漢方治療を行う者の必読の書となっている。
 それはその中に示されている治療法が時代を越えて生きているからであり,傷寒論は治療学における人類の至宝と言っても過言ではない。
 傷寒論は証候とその治療法について詳しく述べている。しかし,病機についてはそうではない。その点,裴氏の著した『傷寒論臨床応用五十論』は,著者自身の長年の臨床経験にもとづいた傷寒論に対する緻密な考察が書かれたものであり,たいへん示唆に富み,教えられるところが多い。わが国には,これに類したものに山田業広の著した『経方弁』があるが,裴氏のこの『傷寒論臨床応用五十論』には,症例を交えた深い考察が示されているので,われわれはぜひとも本書を翻訳して紹介したいと考えた。
 幸いにも東洋学術出版社の山本勝曠社長のお世話により,著者の快諾が得られ,さらに論文の追加もされて,ここに翻訳出版の運びとなった。
本書が日中両国の学術交流の一助となり,傷寒論を研究・実践される諸賢のお役に立つならば,われわれの喜びこれに過ぐるものはない。

2003年3月 藤原了信

 


 裴永清君は,黒竜江中医学院を卒業したのち,1978年に北京中医薬大学へ入学し,私の指導する最初の大学院生となった。これが私と彼との出会いであった。
 裴君は師を尊敬し,学問を重んじ,古人の風格を有し,聡明で理解力に優れている。彼は私について数年余りだが,勤勉で,私の教える学問をよく継承しており,それにもとづいて臨床実践を行い,弁証論治の見解は抜きん出て優れている。また,仲景の理論を研究し,問題点を提起し,細かく分析しており,それらの多くは刮目に値する。まさに世に言う「青は藍より出て,藍より青し」である。最近,裴君が著書『傷寒論臨床応用五十論』の原稿を私に見せてくれた。それは10数万語をはるかに越えるもので,歴代の注釈家より新しい見方を示していて,読むと目から鱗が落ちる思いがした。今日,中医学を継承する人材が差し迫って必要とされているが,裴君のような人は,実に中医界においてその役割を担うべき人物である。ゆえに私は,ここに喜んで序文を記す。

77歳の老人 劉渡舟 北京にて  甲戌年仲夏 


自  序
 中国医学は1つの偉大な宝庫である。その宝庫のなかには数多くの宝石があり,『黄帝内経』と張仲景の『傷寒論』は,そのなかでも最も輝かしく得難い珍品である。しかし年月を経たため,言葉は古くなり意味も奥深いので,この宝石は徐々に埃をかぶって,忘れられ失われる危険にさらされている。これは非常に心配な,また惜しまれる事態である。私は40年近くにわたって中医学に携わってきた。学習したことを,内科・外科・婦人科・小児科の各科で幅広く応用してきたことにより,以前は無名であったがいくらか名を知られるようになった。泰山に登るには道がなければ行けないが,疑難雑病の治療において,特に西洋医学的診断がつかないか,または難治性の病証を治療する際に,仲景の方と法を用いれば,すぐに効果をあげることができる。これは本当に喜ばしいことであり,まことに仲景の理論はすばらしいものである。そのことは,古今内外の医家たちが仲景の学説に対して心血を注いで研究した結果,これまでに千冊を超えるほどの著作が生まれていることからもうかがえる。さまざまな知見があり成果が出ているが,1つの医学書がこのように広く世界に知られていることが,仲景理論の価値の高さを証明している。私の著した『傷寒論臨床応用五十論』は,仲景理論に対するわずかな理解と経験であり,大河の1滴にすぎないが,後世の人の誤りを修正し仲景の原意を明らかにし,宝石についた埃や汚れを拭い去ることで仲景の学問を顕彰し,その恩恵を世の人に与えることができればと思っている。私が仲景の学問を明らかにするために学んできたことによって,多少なりとも貢献できれば幸いである。
 徐文波女史はもともと北京中医薬大学で学び,その後日本へ渡ったが,以前より仲景の学を好み,私と学術上において緊密に交流し合う師弟関係にあった。近年女史は私と何度も会って話し,私の『五十論』を日本へ紹介したいと希望され,多くの労を執られた。この『五十論』の日本での翻訳出版に際して,私は「麻黄湯証について論じる」の1章を新たに加筆し,中国語版の『傷寒論臨床応用五十論』第二刷にも同章を追加した。本書の日本語版の出版に際し,ぜひ日本の読者諸氏のご叱正を仰ぎたい。また,翻訳の労をとっていただいた藤原了信,藤原道明,両先生に心から感謝を述べたい。あわせて中日両国の中医薬学術交流に努力されている,東洋学術出版社の山本社長と両国の学者の皆さまに感謝申し上げる。

裴永清 北京にて  2002年10月26日