▼書籍のご案内-序文

針灸学[基礎篇]【序文】

改訂版のための序文

 1991年5月に出版された『針灸学』[基礎編]が増刷を重ねて,今回,さらに読みやすく配慮されて改版されることとなった。多くの方々に読んでいただけたことは関係者一同望外の喜びであるとともに,責任の重さを感じている。
 初版の序で,現代中医学弁証論治の意義について,「直観的思考形態である伝統医学の神髄を学ぶためにも,論理的思考,つまり科学的思考形態が必要であり,その試みの1つである」と述べた。
 病そのものだけを診るのではなく,「病」と「病になっている人間」との関わり,病がその人にどんな変化を与えているのかに注目をして病態把握を行い,自然の原理にそった方法論を用いて,人間が本来持っている治癒力を発揮させて病を治すと考える中国伝統医学は,本質的に全人的な視点が必要となる。また,感情ある生体を対象とするゆえに,ダイナミックな視点も不可欠である。教条的な論理的思考に陥ることなく,常に動いている人間を的確に把握するためには,本書で述べている基礎的理論の常に臨床現場からのフィードバックを心がけるべきであると思う。その際,大切なことは「自ら考える」ということ,そして「自ら観察する」こと,つまり五感をフルに活用して対象である人間を徹底的に観察し,現象をしっかりとらえることではないかと思う。
 社会が求める医療へのニーズが変化してきている今日,多くの可能性を秘めた中国伝統医学の神髄を,日常臨床の中で大いに発揮されることを心から願うものです。

学校法人後藤学園学園長
後 藤 修 司



初版の序文 

 今,保健医療は大きな転換点にさしかかっている。はりきゅうに関しても,昭和63年の法律改正に合わせ,平成2年度から新カリキュラムが施行され,国民の保健医療福祉の向上のためにより一層貢献できる,より資質の高いはりきゅう師の誕生が期待されている。それは,専門家として,一定レベルの知識・技能とふさわしい態度をもち,それらを常に自主的に高める意欲をもった者といえるであろう。具体的には,学んだ現代医学並びに伝統医学の知識を,診断・治療という技能を発揮する中で統合し,人間学の実践として臨床にあたりうる専門家が望まれているということである。そして,これからはさらに,はりきゅう師がぜひとも備えるべき態度として,「科学的」にものを考えることが重要になると思われる。
 東洋的といわれる直感的思考形態によって組み立てられた伝統医学の真髄を学ぶためには,自分の直感を養うことが大変に重要であるが,そのことにのみとらわれてしまうと,いつまでたっても臨床ができないという落とし穴に落ち込んでしまう恐れもある。その直感をしっかり養うためにも,科学的思考つまり論理的思考をもつ必要がある。
 ともすると,伝統医学を学ぶとき,科学技術へのアンチテーゼから,科学的思考形態をも捨て去ってしまうことがある。悪しき科学アレルギーといわざるをえない。
 一方,伝統医学が使う言葉(記号),あるいは表現しているもの(例えば気血等)が,現代科学的言葉(記号)ではないか,または,現代医学的に実証されていないということだけで,その認識論をも非科学的と片づけてしまう考え方もある。現象論レベルの科学をわきまえない悪しき科学教条主義といわざるをえない。
 この2つの科学への悪しき態度が,臨床現場に時として混乱を与え,迷いをもたらすことがある。はりきゅうの専門家として「科学的」態度を養わなければならない所以である。
 例えば,簡単なことで言えば,ある症状,ある脈状の変化が現れているときに,それが身体の中のどういう変化によって起こっているのかについて,常に考えられること,また,自分の行なう治療行為がそのことに対してどのように働くのかについて,推論できることが重要なことではないだろうか。そして,それが,我田引水でなく一定の「科学的」理論性をもつ必要があるということである。
 現代中医学における弁証論治はまさしく,そうした試みの1つであると思われる。本書は,そのことをさらに深めるために,中国天津中医学院と後藤学園との共同作業によって新たに制作したものであり,いわゆる翻訳本とは趣を異にしている。いかにして適切に病態を把握し,いかに有効な臨床を行うかという立場から書かれた本書が,自分で観察し,自分で考え,自分で臨床に取り組む多くのはりきゅう臨床家のために役立つことを願うものである。

天津中医学院副院長
高 金 亮
学校法人後藤学園学園長
後藤 修司