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現代語訳 奇経八脈考

題記

 奇経八脈は経絡学説の重要な組成部分であり、早くも『内経』の各篇に散見されるが、『難経』では始めて集中的に解説されている。後の『明堂孔穴』には各経に連係する孔穴(_穴)が論じられている。『明堂孔穴』の原書は伝わっていないが、その内容は晋代の皇甫謐が編纂した『鍼灸甲乙経』の中に保存されている。このほか隋唐時代の医学書としては、楊上善の『明堂類成』残巻、王冰の『素問』注、孫思_の『千金方』、王_の『外台秘要』などがある。これらには当時はまだ見ることができた『明堂孔穴』の内容が、さまざまのかたちで伝えられている。そこで各書を参考にすると、『甲乙経』の経穴交会の記載を考証し補充することができる。
 奇経八脈と十二経脈との重要な差は、十二経脈はそれぞれ直属の経穴があるが、奇経八脈では督脈と任脈とを除くと、それ以外の衝脈、帯脈、陰_、陽_、陰維、陽維の六脈は、すべて十四経脈(十二経脈プラス任、督二脈)と交会していて、つまり交会穴があるのみである。交会穴は経絡と経絡との間の交通点である。奇経八脈中の督脈は各陽経と交会し、任脈は各陰経と交会し、その他の六脈は十四経脈のそれぞれと交会している。このため元代の滑伯仁の『十四経発揮』では十四経脈の循経と経穴が論述されているが、奇経八脈については詳しくは記されていない。明代の瀕湖李時珍はこの点を考慮して、特に『奇経八脈考』を著述した。これは文献を博く引用して旁証したこの方面の専門書である。
 奇経八脈の理論は鍼灸や気功などの医療実践の根源であり、これらの実際の指導にも役立つものである。歴代の医学書の中にも論述されており、特に道家では内気運行の通路として奇経が論証されている。李時珍は関係文献を博く捜し集めて、この奇経理論を大きな実り多いものとしたのである。
 『奇経八脈考』は完成してから、もとは『瀕湖脈学』、『脈訣考証』と合せて板刻され、幾度も出版されて後世の医家の絶大な称賛を受けた。清代の医家葉天士などは内科婦人科の弁証用薬の方面で大いに利用しており、これも本書の影響であるということができる。
 王羅珍医師は、ちかごろ上海気功研究所に勤務し、中医臨床から気功にも足を踏み入れたわけであるが、気功の学理は奇経八脈と関連が深いので、李時珍の『奇経八脈考』の探求が要務であると考えたのである。惜しむらくは同書に引用されている古代文献は必ずしも正確ではなく、あるいは原書がすでに散逸していて考証できないものもある。あるいは原書は現存するが、文字が不適当であったり、條文が乱雑であったりして読解しにくいものもある。その源流を明らかにするためには、全文に対して校注を作ることが何よりも必要である。出典を調べ、原文と照合し、異同を分析し、疑義を解釈するのである。
 書中の丹道家の言葉は、〔この分野に詳しい〕私の父とよく検討して可否を相談し、「返観」〔訳注:閉目して体内の臓器や経脈などを意念し観照することで、それで得られた情報により内気を調整する〕によって得たことを加えて指し示している。また原本には図はないので、清代の『医宗金鑑・刺灸心法要訣』と陳恵畴『経脈図考』を補入して、古典の意味を判りやすくしている。そのほか附図として巻末に新考証図を加えて形象を更に理解しやすいものとしている。校注に加えて処々に検討を加え、その趣旨をわかりやすくしている。
 巻末には本書引用方剤、交会穴総表、八脈八穴源流、および奇経八脈弁証用薬の探討なども記されている。本書には奇経学理の研究がおおむね記されているわけであり、本書の刊行は医療と養生の両面に大いに裨益するであろう。

李 鼎
一九八五年二月 上海中医学院にて