▼書籍のご案内-序文

金匱要略解説

監訳者はしがき

 私どもが先年翻訳した劉渡舟教授の『中国傷寒論解説』(原名『傷寒論通俗講話』)は,幸いにも好評で版を重ねることができた。そこでこのたびは『傷寒雑病論』の「雑病」部である『金匱要略』解説書の翻訳紹介を企図したのである。
 最初に選んだのは『傷寒論通俗講話』と並んで中国のベストセラーであった何任教授の『金匱要略通俗講話』であったが,何任教授はその後に同書を底本にして新たに『金匱要略新解』を著述され,これには前著と異なり金匱要略の原文が記されていた。余談であるが『中国傷寒論解説』には傷寒論原文が併記されていないので,同書に條文を書き込んで読んでいるという読者が多い。実は私もそうしているのである。そこで,この点も考慮して『金匱要略新解』を選定してでき上ったのが本書である。
 『金匱要略』22篇の400余条と200余の方剤は中国医学の基礎であり,中国医学を学ぶ者にとって必須の原典である。しかしその成立過程からも判るように,所々に不正確な記載があるのは当然であり,歴代の注釈家を悩ませている。本書は『金匱要略』の単なる逐條解釈ではなく,著者の学識と臨床経験に裏付けされた洞察力が,「解説」の部に適確な見解や批判として生かされている。従って初学者にとっての恰好の学習書であると同時に,立派な注釈書ともなっている。
 例えば第3篇で,狐惑病とべーチェット症候群との類似性から清熱解毒滲出の治療原則を指摘するなど,現代医学との関連も配慮されている。
 また第14水気病篇では,その臨床価値については検討を加える必要があるとし,その後に目ざましい発展をした後世の方剤で水気病の臨床内容を充実させるべきであると述べている。これは,大塚敬節先生が『金匱要略講話』の中で,水気病の治療は『金匱』だけでほ不充分であるとして,浅田宗伯の『雑病翼方』や和田東郭の『導水瑣言』を紹介しているのと軌を一にしている。
 本書の「『金匱要略』概説」は『金匱要略』の内容,思想,注釈本,学習方法などについて,これほど簡明適切に記した解説は少ないので,「前言」と重複する部分もあるが,あえて集録したわけである。これを一読すれば,古今のあらゆる『金匱』注釈書に精通している著者の深い造詣と,『金匱』に対する真撃な熱意をはっきりと知ることができる。著者は多紀元簡の『金匱要略輯義』について,「細心の注意を払って証拠を求め,的確に結論を下している。」と評価し,『金匱』研究に欠かせぬ存在であると述べている。
 日本の一部には,中国でほ傷寒金匱のような古典が軽視され,あまり読まれていないと思っている人がいるようだが,本文を読めばそれが妄説であることがはっきり判ると思う。
 現代中国の『金匱』研究の第一人者である何任先生に始めて会ったのは,1981年10月に北京で開催された「日中傷寒論シンポジウム」の際である。『日中傷寒論シンポジウム記念論集』(中医臨床臨時増刊号)に書いた私の印象記には,
 淅江中医学院の何任教授は,私が座右において愛読している『金匱要略通俗講話』の著者であるが,講演は始めて聴いた。何教授は『傷寒論』の学習は「博渉知病,多診識脈,屡用達薬」によって達せられると語っている。広く書物を読み,臨床経験を重ね,更に薬の使用法に精通し熟達しなければならないというわけである。
と記してある。
 1985年の年末に東京で何任先生と再会し,改めて身近に先生の温厚な風貌に接して本書の翻訳出版について歓談したのである。何任先生は「知れば知るほどその魅力に取り付かれる」と述べて『金匱』研究の奥深さを指摘している。本書が読者諸賢の『金匱』研究の一助となり,併せて日中両国の医学交流に貢献できることを祈念して擱筆する。

勝田 正泰
1988年4月7日


『金匱新解』日本語版序

 『金匱要略』は臓腑経絡を基本として論述した中医雑病の専門書である。内容は内科を主として,一部には外科や産婦人科などの病証も含まれている。『金匱要略』は分類が簡明で,弁証は適切で,治療法則は厳格であり,方剤の組成は精密で,理法を兼備しているので,真に臨床実用に適合している。後漢以前の豊富な臨床経験を結集して,弁証論治と方薬配伍の基本原則を提供し,中医臨床の基礎を定めたのである。
 『金匱要略』の版本ほ色々ある。最初の註釈本は趙以徳の『金匱方諭衍義』である。清代以後は註家が次第に多くなり,比較的有名なものとしては徐彬の『金匱要略論註』,沈明宗の『金匱要略編註』,尤在涇の『金匱要略心典』,魏レイトウの『金匱要略本義』などがある。このほか周揚俊の『衍義補註』,『医宗金鑑・金匱註解』,黄元御の『金匱懸解』など多数のものが伝っている。
 専門註釈書以外にも,歴代の多数の医家がその著書の中に『金匱要略』の文章と方剤を引用して解説している。早くも唐代に孫思バク『千金要方』,王トウ『外台秘要』および『脈経』,『肘後方』,『三因方』が『金匱』から引用して述べている。その後,宋代の朱肱,金元の劉守真,李東垣,張潔古,王海蔵,朱丹渓などは,すべて各自の著書の中に『金匱』の方剤と理論を収め伝えている。例えば朱丹渓は彼の著書『局方発揮』の中で,『金匱』を非常に推奨して,「万世医門の規矩準繩」「引例推類これを応用して窮まりなしと謂うべし」などと称えている。喩嘉言『医門法律』,徐洄渓『蘭台軌範』などの著作は,『金匱』に対して独特の意見を述べている。
 比較的近代の『金匱』専門注釈書もまた少なくなく,枚挙にいとまがない程である。中でも日本の丹波氏父子の『金匱要略述義』,『金匱要略輯義』などの著作はよく知られている。
『金匱要略新解』は,連載したものを集めて,1980年に初稿が完成したものである。その註解はできる限り原文の精義に符合するように努め,文章は晦渋を避けてなるべく判り易いようにし,また『金匱』の方剤を臨床に用いた著者の治験例を適当に付加し,読者の参考に供した。
 昨年,私が講学のため東京を訪問した際に,東洋学術出版社社長山本勝曠先生と会い,『金匱新解』を日本で翻訳し,出版することを依頼された。これは大変に結構なことである。本書の出版は,両国の文化と医学の交流,友好の促進に,必ずや積極的な働きを作すものと信じている。

中国・杭州 何 任
1986年5月


前言

  『金匱要略』は,中国医薬学文献中の古典医籍の1つであり,『金匱要略方論』ともいい,『金匱要略』あるいは『金匱』と略称する。本書は後漢の張機の著作中の重要な一部である。
 張機,字・仲景は,2世紀頃に生れた。彼は博学多才で,『傷寒雑痛論』を著述した。『傷寒雑病論』は「傷寒」と「雑病」の2大部分から組成されていたが,原書は早い時期に亡失してしまった。医史学の考証によると,『傷寒雑病論』はもともと16巻であったが,晋代に王叔和が整理編成して『傷寒論』10巻とした。これは『傷寒雑病論』中の「傷寒」の部分である。「雑病」の部分は当時は発見されていなかったのである。宋代に至って林億らが『傷寒論』を校正し,『傷寒論』と『金匱要略』の両書を編成したのであるが,その序文の中に『金匱』は残存した虫喰い本の中から発見されたと記されている。これがつまり『傷寒雑病論』の「雑病」の部分なのである。
 『金匱要略』は中国医学の最初の内科雑病の書物である。その特徴は,比較的簡明に全体を22篇に分類し,各篇それぞれを独立させて注解していることである。当然のことながら,ある篇ではいささか矛盾する部分や,理解しにくい部分もある。2000年も前から伝えられた古代医籍であるから,これらの欠点は避けられないのである。
 弁証の方面ではかなり要点を押えていて,以下の病証が記されている。
 痙,湿,エツ,百合,狐惑,陰陽毒,瘧病,中風,歴節,血痺,虚労,肺痿,肺癰,咳嗽,上気,奔豚気,胸痺,心痛,短気,腹満,寒疝,宿食,五臓風寒,積聚,痰飲,消渇,小便不利,淋,水気,黄疸,驚悸,吐衄,下血,胸満,オ血,嘔吐,エツ,下利,瘡癰,腸癰,浸淫,趺蹶,手指臂腫,転筋,狐疝,蛔虫,婦人妊娠,産後雑病。
 作者はこれらの疾病の中で,病因や病磯の類似したもの,証候が似ているもの,病位が接近しているものを,大づかみに合わせて1篇としている。
 例えば痙,湿,エツの3病は,すべて外感によるものであり,発病時には多くは太陽病から始まるので,合わせて1篇としている。
 百合,狐惑,陰陽毒の3者は,あるいは熱病の転帰によるものであり,あるいは邪毒の感受によるものであるが,その性状が相似しているので,合わせて1篇としている。
 また中風には半身不随があり,歴節には移動する関節痛などの症状があるが,両者の病勢の進行状態は非常に変化しやすいので,往々にして「風」の字で形容され,その病機が似ているので,合わせて1篇としている。
 血痺病は外邪の感受と関係があるが,主な原因は陽気が阻まれ,血行がゆきわたらないために起るのである。虚労病は五労,七傷,六極によつて引き起される内臓気血虚損の疾病である。この両者は病機が相似しているので,合わせて1篇としている。
 また胸痺,心痛,短気の3者を1つに合わせたのも,病機と病位の関連によるものである。というのは胸痺と心痛の両者は,胸陽あるいは胃陽が不振のため,水飲痰涎が胸あるいは胃に停滞して引き起されたものであり,両者の病機と病位が接近しているので,合わせて1篇としたのである。
 驚悸,吐衄,下血,胸満,オ血などいくつかの病の発病の成り立ちと,心肝の両臓とは関係が深い。心は血を主り,肝は血を蔵しているので,心肝両臓の機能が失調すると,驚悸,吐血,衄血,下血あるいはオ血が引き起されるのである。そこでこれらの病を合わせて1篇としている。
 また消渇,小便不利,淋病は,すべて腎あるいは膀胱の病変に属しているので,合わせて1篇としている。
 また肺痿,肺癰,咳嗽上気の3者は,病機は同じでなく,証候も異なるけれど,すべてが肺の範囲に属する病なので,合わせて1篇としている。
 同じような事情で,腹満,寒疝,宿食の3者は病因は異なるが,発病部位はすべて胃腸と関係があり,しかもすべてに脹満あるいは疼痛の症状があるので,合わせて1篇としている。
 そのほか嘔吐,エツ,下利の3者は,発病原因と発病のしくみは同じではないが,すべてが胃腸の病証なので,合わせて1篇としている。
 上記の合篇以外に,瘧病,水気,黄疸,奔豚気などそれぞれ単一の篇がある。そのほか,趺蹶,手指臂腫,転筋,狐疝,ユウ虫などのように,単一の篇とすることもできないし,類似性でまとめるのも不適当だが,合わせて1篇としたものもある。「五臓風寒積聚病并治第11篇」は,主として五臓の発病の病理と証候を述べている。
 本書第1篇の「臓腑経絡先後病脈証」は,全篇の理論的基礎であり,すべての証候は臓腑の病理変化によって起ることを,臓腑経絡学説で明白に論じている。これはこの方面の問題についての概括であり,その基本的な観点は全書各篇の中に滲透している。それゆえ臓腑の病機をもとにして弁証を進めることが,本書の主要精神となっている。
 以上の内容から『金匱要略』1書を通観すると,本書は内,外,婦,皮膚科など各科の疾病にわたっており,更にいくつかの伝染病をも含んでいる。各種の病を必ずしも全面的に集めているわけではないが,すべてにわたって初歩的な規律による一定の分類がなされている。
 22篇の中には,重要なものと副次的なものとの差もあり,総則である「臓腑経絡先後病脈証第1」以外には,「瘧病」,「肺痿」,「肺癰」,「咳嗽」,「上気」,「胸痺」,「痰飲」,「嘔吐」,「エツ」,「下利」,「腸癰」および「婦人妊娠」,「産後雑病」などの病証は,すべて非常に重要な内容を含んでいる。しかし,「五臓風寒積聚病脈証并治第11」篇中の五臓風寒などのある部分は,必ずしも意味が明確でない。
 22篇中には400余の条文があり,200以上の処方(各版本の条文処方がすべて同じわけではない)がある。これらの処方の多くは古代の医師が臨床実践中に得たものであり,大多数の処方が現在でもなお中医師らの臨床治療の有力な武器となっている。
『金匱要略』は,臓腑経絡学説を基本論点として,証候はすべて臓腑病理変化の反応であるとしている。この基本論点は本書の脈法中にも現われている。疾病治療の方面では,人体内臓間の総合性をもとにして,未病の臓腑を治療して病勢の発展を予防することや,治病の根本として人体の正気を重視し,同時に去邪もゆるがせにしないことなどが,非常に重要な問題であるとしている。
 本書では方剤の運用面で,一方で多病を治療すると同時に,また1病の治療に数万を用いており,「異病同治」と「同病異治」の精神を具体的に示している。前述のように『金匱』の方薬は非常に有効であり,例えば蜀漆散が瘧疾〔マラリヤ〕を治し,大黄牡丹皮湯が腸癰を治し,沢瀉湯が水気病を治し,白頭翁湯が痢疾を治し,菌陳蔦湯が黄疸を治すなど,これらは現在でも我々が臨床に用いて良効を得ている。薬物の配伍の面でも,本書は独創的な所がある。
 『金匱要略』は,要するに分類が簡明で,弁証が適切で,治療法が厳格で方薬の組成が精密であり,理法を兼備した,実用にかなった本であり,中医の内科,婦人科の臨床上で,一定の指導的価値を持っている。『金匱要略』は中医学を学習するのに必読の重要古典の1つである。現在でほ中医学院で中医古典文献を学習する際の必修の本となっており,西医が中医を学習する場合にも,学ばなくてはならない医書の1つとなっている。
 筆者は1958年に,『金匱要略』22篇について,通俗講話の方式で,各篇を要約分析し,原文の精神を生かし,各家の注釈を参酌し,昔を今に生かすという主旨に従い,臨床実践にもとづいて,『金匱要略通俗講話』を著述した。これは読者が『金匱要略』に対する概括的な認識と初歩的な知識を修得して,それをもとにして更に原書を探求するのに役立てようとしたものである。

 いまこの『金匱要略新解』は,『金匱要略通俗講話』をもとにして,いささか原文内容を増加し,余分な文字を削除し,同時にある方剤については必要な臨床治験例を補充したものである。文字は読みやすく,理論は判りやすいようにし,原書に対するより一層の理解を助け,臨床実践に役立つことを期したものである。
 本書は,中医学院学生,「経文」を学んだことのない中医学独習者,臨床中医師,西医で中医学を学習している人達などすべてにとって『金匱要略』学習の際の参考書となるものである。
 本書の内容は,1978年から1980年にかけて『浙江中医学院学報』に「金匱要略浅釈」と題して連載し,非常に読者の好評を得たものである。いま浙江科学技術出版社によってまとめて出版されることとなった。多くの読者の御批判を希望する次第である。

勝 田 正 泰