▼書籍のご案内-序文

[原文]傷寒雑病論(三訂版)

前言

 この度、日本漢方協会は、創立十周年を記念して、同協会学術部より、『傷寒論』と『金匱要略』を合刻して、『傷寒雑病論』として出版する運びとなった。
 月日のたつのは速いもので、根本光人氏より協会設立の相談をうけて、日本漢方協会が創立されてから、十年の歳月が流れた。そしてこの十年間には、日本の漢方界は種々の変動を経験した。健康保険診療の漢方薬採用、日中国交回復による日中学術交流の深まり、それに従う針麻酔や中医学理論の流入などがあった。しかし漢方界全体としてみれば、一般民衆の漢方に対する認識が高まったばかりではなく、医療界においても、ようやく漢方に対する関心が深まる傾向になってきた。このような状況の中で漢方を学ぶものは、更に心して正しい漢方の研究に十分な努力をしなければならない。
 『傷寒論(古くは傷寒雑病論)』『黄帝内経素問』『神農本草経』は、中国医学の三大古典であることは、昔も今も変わりはない。その中で『傷寒論』は中医学を学ぶ者にとっては、研究すべき必須の古典であるという。現在の中国においても、『傷寒論』関係の出版が続々と行なわれ、その研究の重要さがうかがわれる。
 さて、日本の漢方、特に古方派漢方は、傷寒、金匱の研究から出発していることは周知の通りである。『傷寒論』は『傷寒論』の理論で解釈するという考え方、それに腹診の発達が加わり、親験実施を精神とした古方派漢方は中医学と違う発展をとげて今日に至っている。『傷寒論』の最も古いとみられる章句(古方派はこれを本文と称する)は、病気の症状、経過を述べ、それに対する治療法(薬方)をあげているだけで、特別の理屈で説明していない。もしその臨床的観察が正しく、適用した薬方が有効であるなら、後世の人がそれを追試しても同じ効果をあげ得る筈である。事実を正しく把握していたら、二千年を経ても、その事実には変りはない筈である。後世、何千何万の人が『傷寒論』を追試して、『傷寒論』の事実の把握の正しさを確認してきたわけで、これが『傷寒論』を今日に至るまで、最も価値ある医書として継承してきた所以であると考える。西洋医学を学んだ者も、『傷寒論』を研究し理解すれば、臨床に応用してその効果を確認し得るのであるが、これは『傷寒論』が正しく事実に立脚していると考えれば、了解できることである。従って西洋医学を学ぶ者にも、『傷寒論』研究は稗益するところが大きいと考える。
 以上、『傷寒論』は、日本の漢方にとっても、中医学にとっても、研究すべき必須の原典であることは論をまたない。しかし漢方が西洋医学的治療と伍して、日本の医療界に貢献するためには、今後の『傷寒論』研究は、科学的実証精神に立脚すべきである。
 奇しくも今秋、張仲景ゆかりの地南陽で、張仲景生誕の記念祝典が催されるという。この期に臨んで本書が出版されるのは、誠に意義が大きく、因縁深く感じる次第である。

日本漢方医学研究所理事長
伊 藤 清 夫
昭和五十六年四月