▼書籍のご案内-序文

現代語訳◎黄帝内経素問 全3巻



 中国の医学は,長い間の実践をへて,豊富な経験を積み重ね,独特な理論体系を創りあげた。この理論体系は,後代における中医学の学術発展の基礎であり,その中でも,特に人体の生理・病理現象を解釈している陰陽五行説と,人体の内外の環境を統一的に説明している「天人相応」という有機体的生命観とは,臨床医学の上で,終始,指導的役割を果たしてきた。中医学の経典である『黄帝内経』は,中医理論体系の源泉であり,陰陽五行説を用いて人体の生理・病理・診断・治療原則を解釈し,さらに「天人相応」の有機体的生命観によって,人体内外の環境を統一する規範を説明している。そのため,この書は中医学を学習するための必読書となっている。ただし,この書の語意はかなり深遠なので,初学者には,やや困難なところがある。そこで現代語による訳と解釈を加えて,学習者が読解しやすくすることは,大変重要な意義のあることである。
 この『黄帝内経素問訳釈』は,我々の医経訳釈作業のひとつである。原文は基本的に王冰次注本を底本とし,部分的な語句の上では『黄帝内経太素』,『甲乙経』,『新校正』本,および呉崑,馬蒔,張景岳,張志聡,高士宗などの注本を参考にして,校訂してある。また「刺法論」と「本病論」の2つの遺篇を,注本にもとづいて補入し,巻末に加えて研究・参考の用に供した。
 本書は我々のグループと,前後3期の医科研修斑,教授グループの人々によって,共同で編集・著述されたものである。1956年の冬に初稿を完成し,本校の教授・学生,および各地の人々に沢山の貴重な意見をいただいて,1957年に第1次の修正を行った。このたび,この第1次修正版をもととしてさらに改訂を加え出版して,中医学の学習と教授,および中医研究にたずさわる人々のために,参考資料を提供しようとするものである。とはいえ我々の力量のゆえに,内容の解釈の上で錯誤や欠点が必ずや多いことと思う。しかしながら我々はこれを1つの端緒とみなし,今後とも絶えず修正を加えて,質を高めていくつもりである。将来,修正にあたって参考とするために,読者諸賢が貴重な改善意見と批評を寄せられることを希望する。我々はそれを熱烈に歓迎する。

南京中医学院医経教研組
1958年11月


第2版前言

 本書が1959年6月に出版されてから,すでに20年になる。このたび,多くの読者の要望に答えて,再版の運びとなった。再版するにあたって王新華が本書に全面的な修正を加えた。体裁の上では,「詞釈」とあったものを「注釈」と改め,原文については再度照合し,少数の誤りを正した。「解題」と「本篇の要点」などの内容では,必要な修正を行い,現代語訳の語句と文字について修辞を加え,句読点については,かなり多くの改訂を行った。
 第1版に比べて質量ともに向上していることを願うものである。ただし時間と我々の力量の不足により,誤りと欠点はまぬがれがたい。読者の批判と批正を歓迎するものである。

編 者
1979年8月


監訳者のことば

  『黄帝内経素問』,略して『素問』と呼び慣わされているこの書ほど,今日,さまざまな人によって取り上げられることの多い古典は,なかなかないのではないだろうか。中医学や漢方医学・薬学を学ぶ人々がこの書を読むのは,最も古く,最も根本的な医学経典である以上,当然のことだが,最近では,こうした専門家以外の人々が,この何千年も前から伝えられた書物のことを,熱心に語りはじめている。
 その中には,近現代の医療に不信を抱いて,身近な伝統医学である中医学や漢方を学びはじめ,その原点としこの書を知った人もいる。また,医療や健康も含めた,等身大の人間を考えるための,全く新しい思考方法を探し求めた末に,ひとつらなりのシステムとして人をとらえるこの書の思想に魅せられた人々もいる。物質の世界を極限まで追ってみた末に,それが「こころ」と不可分な世界であることを認識し,そうした「こころ」の領域を扱いうるような「医学の知」こそ,来たるべき未来社会を開くものだとして,この書物に注目している人々もいる。更に,言葉ではなく,身体によって確め,知りうるさまざまな世界を探った末に,そうした知が集積されているこの書の「言葉」に,再び戻ってみた人さえいるのである。
 こうした現状にもかかわらず,この書物を最後まで読み通した人の数は,おそらくさほど多くはない。その理由はいくつか挙げられるが,なんといっても大きいのは,この書が有する技術の書特有の難解さだろう。伝統技術の書は,技術が変わってゆくにつれて補われたり改められたりするため,単なる古典としての難しさの上に,謎のようになってしまった古い技術特有の用語を解明するという仕事が加わるからである。したがって単に中国の古典を学んだだけでは,この書を読むことは難しいし,同様に,単に現代の中医学を学んだだけでは,この書を理解することはおぼつかない。
 『素問』を本当に読もうと思うなら,まず必要なのは,『素問』が書かれた当時の言語と医学の知識である。前者は古典学によってある程度修得可能だが,後者は実のところとても学びにくい。『素問』の原資料が書かれたであろう前漢中期位までの医学を知る材料が,ほとんどないからである。このごろ出土した資料の内には,これを補うものもあるが,残念ながらこの時代最高の医学をカルテの形で残してくれた『史記』の倉公伝を上回るレベルのものは,まだ発見されていない。そして,その肝腎の倉公伝の記述が,とてもばくぜんとしたものであるため,私達は結局『素問』を読むためにも倉公伝を読むためにも,最終的には,『素問』に帰っていかざるをえないのである。
 『素問』によって『素問』を読もうとする上で,頼りになるのは歴代の注釈である。そこには,少なくともその注釈者の時代まで伝えられていた医学知識にもとづく『素問』の読み方が書いてあるからだ。だが,その頼り方には,2つの立場がある。その1は,ひとつの注釈のみに依拠して,その注釈者が考えた論理的整合性と,その注釈者の時代の医学に従おうとする立場である。その2は,歴代の諸注釈の中から,最もふさわしいと思われるものを,章句ごとに選んでゆく立場である。前者は,古典学の厳密さを考えれば,最上の方法だが,現代中医学にまでつながる『素問』の意味を探ろうとすれば,各時代ごとの注釈にもとづいて,いく通りもの『素問』読解を試み,訳を作らねばならない。そこで一般には,後者の立場に立ってさまざまな注釈の善を採りつつ,独自の読解をこころみることになる。

 本訳書は,この後者の立場に立って編まれた現代中国の『素問』訳注書の内から,最もコンパクトで,内容的にもすぐれた書として定評のある『黄帝内経素問訳釈』(上海科学技術出版社)を翻訳し,書き下し文を付したものである。この種の書としては,他に『黄帝内経素問校釈』(人民衛生出版社)と『黄帝内経素問校注語釈』(天津科学技術出版社)の2書が著名だが,前者はコンパクトな書とするには大部すぎ,後者は古典学的校注に優れているものの,訳が簡単にすぎるうらみがある。更に前者は,大部であるため,解説の詳しさにおいて他を抜いているけれども,内容的には,よりコンパクトな本訳書の原本と較べると一長一短であるところも多い。注目を集めながら,ごく少数の人々にしか読まれていない『素問』を,私達共有の財産にすべく翻訳にとりかかるにあたって,原訳書を選んだのは,こうした事情を勘案してのことである。厳密な古典学の立場からすると,典故の選択に問題があったり,いささか訳しすぎていると思われるところがあるかもしれないが,前述のような技術の書の性格からすれば,これも意味を明確にするためのひとつの過度的過程として了解していただければと思う。
  『素問』という書物の成立事情については,分からないことだらけである。この書のもとになった『黄帝内経』という書物が,紀元前86年頃から紀元前26 年までの間に,いくつかの医学書をまとめる形で改訂・編纂(最終的な編纂者は李柱国という宮廷医)されたことは確かである。だが,その後,誰が,いつ,この『黄帝内経』をもとに,『素問』という書物を再編纂したのかということになると,私達はほとんど資料を持っていない。『甲乙経』やいくつかの零細な資料から,『黄帝内経』がその編纂から200年も経たない内に失われ,代わってその再編纂書とみなされる『素問』と『鍼経』(『九巻』・『九霊』などとも呼ばれる,今の『霊枢』)という2部の書が流布していたことを知りうるのみである。
 この書の最も早い注釈は,斉・梁頃(5世紀末~6世紀初)に,全元起という人によって著されている。この注釈は12世紀初に失われてしまったが,北宋の医書校訂出版事業の際の校訂文(『新校正』)に大量に引用されているので,大まかな内容と,篇章の構成を知ることができる(全元起本巻目表参照)。これと前後して,皇甫謐の『甲乙経』(3世紀中葉),楊上善の『黄帝内経太素』(7世紀中葉)という2部の再編纂書も現れており(前者は『素問』・『鍼経』・『明堂』,後者は『素問』・『鍼経』を再編纂したもの),『素問』への関心が絶えることなく続いていたことを窺わせる。ただ,原書の内の第7巻は,梁頃までには失われてしまったようである。現存している『素問』のテクストは,いずれも中唐の王冰が著した注釈書にもとづいている。この注釈書は,今日「運気七篇」の名で知られている長大な篇章を,失われた第七巻であると称して付加したものである。この間の事情については,本訳書に新たに付した北宋の林億らの序を参照してほしい。
 王冰が付加した運気七論は,中国の清朝や日本の江戸中・末期の復古考証派の医家によって,鬼子のように取り扱われたけれども,中唐以降,現代中医学に至る医学の展開の上では,とても大切な役割りを果たしている。「弁証」と呼ばれる中国伝統医学独特の方法論が,高度に発展するための基本的な枠組みが,そこに説かれているからである。『素問』の注釈は,元から明朝にかけて数多く現れるが,その大部分のものが,多かれ少なかれ運気論の影響を受けているのも,無理からぬことなのである。もちろんなかには,運気論によって解釈すべきでない古い篇章までも,運気論によって解釈する注釈も多い。そうした注釈については,本訳書の訳注のところで注意を促しておいたが,一方で現代中国の弁証が,こうした「古い篇章の運気論的解釈」にもとづく場合もあることを考えれば,こうした誤った解釈が果たしてきた,あるいは果たしつつある役割りというものも,無視してはならないはずである。
 視点を変えて,現代中医学がその基礎に置いている「伝統医学」とは何か,という方向から『素問』を読むとすれば,むしろこうした明清の注釈の方にこそ,私達は注意を向けるべきなのかもしれない。本書も含めた現代中国の『素問』訳注書が,多く明清の注釈に依拠しているのは,もちろんそれらが代表的な注釈だということもあるが,ひとつにはこうした現代中医学に連なる「伝統医学」の問題があるからである。その意味では,現代中医学を学ぶ人達にとって,本訳書を読むことは,単なるルーツ探しを越えて,自分達の学んだ現代中医学のアイデンティティを知ることにもつながってくるはずである。
  『素問』の全訳書として,現在私達が日本で入手できるのは,柴崎保三氏の膨大な労作『黄帝内経素問霊枢』と,小曽戸丈夫氏の達意の書『意釈黄帝内経素問』だけである。前者は余りにも大部で個人では入手しづらい上に,少し解釈が細部に入り込んで全体が見通しにくい。後者は,古典学的見地からもよく考え尽くされた意釈で,全体を見通しやすいのだが,注釈が省かれているため(これはもちろん全体を見通す上ではすばらしい長所である),さまざまな立場から『素問』を客観的に考えてゆくための材料に欠けるところがある。前者の扱いづらさと細部への立ち入りを避けつつ,後者に欠けていた材料をも補い,全体を見通しやすく,コンパクトなものにと心がけて訳したつもりであるが,原書が有していたさまざまな時代的,政治的制約や,訳者の力量不足,全体の統一の不徹底などから,誤りも多いことと思われる。博雅の士の示教を得ることができれば幸いである。

追記 本訳完成後,原訳書第3版が届けられた。本文はあまり第2版と変わらないが,注の典故などにかなりの改善が見られる。時間の制約でその成果を摂り入れることができなかったことを遺憾に思う。

石 田 秀 実