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現代語訳 奇経八脈考

訳者あとがき

 手足の八宗穴を用いるだけで、さまざまの症状に対応できる奇経治療は、簡便でしかも非常に有効な治療法である。先師間中喜雄先生に本法の妙味を教授されてから、刺針、磁石、カラーテープと手技は変ったが、筆者は一貫して奇経治療のみを行って日常診療に対応している。
 平成二年の秋、亜東書店で王羅珍校注『奇経八脈考・校注』(以下本書と略称)を見つけたときは非常に感動した。毎日のように奇経治療をしているのに、奇経八脈の代表的な古典である『奇経八脈考』を読んでいなかったからである。奇経の学習にも役立つと思い、平成三年二月から本書の飜訳に取り組んだのである。
 日本ではなぜか奇経治療は軽視されており、私の知る限りでは江戸時代には岡本一抱の『経穴密語集』と夏井透元の『経脈図説』の中に記載があるのみであり、私の手元にある現代の専門書は、城戸勝康著『奇経治療』(奇経治療研究会刊)と入江正著『経別・経筋・奇経療法』(医道の日本社刊)のみである。MP針による奇経治療を推奨していた長友次男氏の著書によると、独仏両国では奇経治療が盛んであり、これはバッハマンが『鍼灸聚英』(一五二九)を種本にして紹介したのが基になっているとのことである。
 高武の『鍼灸聚英』の奇経八脈の項には、それぞれの流注経路、交会穴、病状を簡要に記して、経穴を別記してある。別項には本書の附録にも收録されている「竇氏八穴」も記されている。同書の刊行は『奇経八脈考』の発刊(一五七八)の五十年前である。
 高武の著書によって、当時にはすでに奇経治療はかなり普及していたと考えられるが、李時珍が敢て『奇経八脈考』を刊行した意図は何であったのか、文中に引用されている『霊枢』や『甲乙経』などの古典による裏づけと、自身の見解を述べることのみが目的ではなかったと思う。
 本書の扉にも引用されている「内景隧道は惟だ返観する者、能く之れを照察す」という陰 脈の項の言葉が、『奇経八脈考』を執筆した主眼であったと思う。奇経八脈の効用の真相を解明するためには、内丹つまり仙道の修行が必要なことに気づいて、この見解を述べるために『奇経八脈考』を執筆したのではなかろうか。
 私事であるが、本稿執筆中に少林一指禅功を学んで、経絡流注感覚がおぼろげながら判るようになり、奇経に関しては、例えば右手の指頭を左足の照海穴に向けて回すと、左手の列缺穴に気感を感じるようになった。このささやかな体験によって、李時珍の言葉が少しは理解できたのである。
 本書の「附録」に、八脈八穴の源流と臨床応用が記されている。手足の八穴を組合せる奇経治療の基はいつ頃に完成したのか、興味はつきないが、本書でも「少室の隠者の伝授」として、神秘の扉は開かれていない。しかし私のささやかな経験から推測すれば、古代の経絡敏感人にとっては、手足の八宗穴を組合せることなど、それほど困難なことではなかったと思う。
 本訳書の「釈音」の項と、「附録」の「八穴の配伍応用」の中の「按時配穴法(霊亀八法と飛騰八法)」の飜訳は、淑徳大学の佐藤貢悦助教授が担当した。
 全文にわたって校訂していただいた谷田伸治氏に深謝して擱筆する。

勝 田 正 泰
平成六年四月一日