▼書籍のご案内-後書き

内科医の散歩道―漢方とともに

東西両医学を実践する山本君

 畏友「山本廣史」君が『野草処方集』に続き第二冊目の随筆集を脱稿し、発行前に読ませていただく光栄に浴した。我々医学を業としている者にとっても、なかなか解り辛い漢方医学を、平易な文章で素人にも理解できるように記述している。このような作業は東洋医学・西洋医学の両方を深く理解し会得した者にしかできない技である。
 山本君は九州大学農学部在学中に、エリート公務員への登竜問である国家公務員上級試験に合格した俊才であるが、昭和三十五年農学部卒業と同時に九州大学医学部に編入学してきた。それ以来、既に四十年間公私にわたり厚誼を頂いている友人である。医学部在学中は出版部に属し、しばしばきらりと光る随筆を同窓会に寄稿し、名文家として知られていた。
 医学部を卒業してからの数年間は心臓病の臨床研究(特に心音図や心エコー図)で頭角を現し、若手研究者として学会の注目を集めた存在であった。しかし、心身の限界を超えた過酷な生活で体調を崩したのをきっかけに、分析的合理主義の現代西洋医学に疑問を持ち、中国伝統医学に傾倒していったようである。数年間にわたる苦悩の中で、食養、運動、心の鍛錬の大切さを身をもって体験し、彼独特の疾病観を確立したのである。
 本稿を一読されたら直ぐにお解りのように、彼の暖かい人間性に裏打ちされた繊細で鋭い感性により描き出される人間像は、積極的に生きようとする人々に対する讃歌である。農学士であり熟達した臨床医でもある彼の薬草に関する知識は広く深い。著者のように伝統中国医学と現代西洋医学のそれぞれの長所と短所を熟知し、中西医学統合を実践している医師は極めて限られている。本書は私たちの身近にある自然の恵みの偉大さを再認識させるだけでなく、現代医学のアキレス腱を気付かせてくれるであろう。

九州厚生年金病院院長
菊 池 裕
平成十二年十一月三日



共に漢方を学ぶ仲間として

 山本廣史君のエッセイ集を読ませて頂いた。山本廣史君と私は九大医学部の同級生で、当時から彼は出版部に属して『九大医報』という雑誌の編集に熱心に取り組んでいた。文字に慣れ親しむのはずっと昔から彼に備わった才能だったに違いない。
 卒業後は彼は循環器内科、私は精神科に進み、その間無給医闘争や大学紛争を経て、再び巡り会ったのは九漢研という漢方の研究会であった。大学を卒業して十年過ぎたあたりである。熱意を以て西洋医学に殉じていたものが、ふとその西洋医学に懐疑的になる瞬間がある。一物質一機能という要素還元主義に行き着くからである。漢方という東洋医学では生命体を単に部分の集合体とは考えない。また、逆に部分はその中に全体を含むと考える。だから漢方治療は常に全体療法になる。
 話がずれそうになるので彼のエッセイ集に戻るが、彼はニガウリやスイカや枸杞の話をしながら実は人間の持っている自然良能、自然治癒力がどんなに素晴らしいものであるかを彼、山本廣史君が患者さんを通じて実感していった過程を我々読者に伝えたいと願っているのがわかる。更に云う「天は自ら助くる者を助く」と。自然良能、自然治癒力が自分の努力次第で実っていきもすれば廃れてしまうこともあると。このことは、目先の快を追い求める現代の風潮に対する彼流の警鐘でもあり、読者の健康な精神感覚に訴えるもの大であろう。
 彼はこのエッセイ集の中で自分が消耗性うつ病にかかり、不眠に悩み、体重が十キロも痩せたと書いているが、海や山の自然に親しみ農作業に親しんで病気から生還した自然良能の貴重な記録を残した。この故に彼の消耗性うつ病について多少なりとも知っている者にとっては彼自身の完全復活を示す自伝的な意味合いをこのエッセイ集に感じるのである。
 ともあれ、薬草について、優しい口調で語りかける内容は、中身は濃く、サボテン体質や水草体質などユーモラスでしかも本質を突いているので、読んでいて楽しい本になっている。原稿用紙を前に万年筆で文章を書くのが何よりの楽しみと常々話してくれているので、気の早い話であるが次作も楽しみにしている。

日本東洋医学会九州支部長
後 藤 哲 也
平成十二年十一月三日